ポケモン06→10

今書かないと書き逃しそうなので。
この4年でポケモンで大きく変わったこと。

ゲーム環境が変わった

対戦のことは彩さんが書いてるからそっちで。戦績が付き道具の運ゲーが減ったことでマルチバトルがつまらなくなったのは残念だったなぁ。遊びでなく戦いと意識する人が増えた?
GBAの頃は対戦系のブログで書く人は余りいなかったけど今は対戦系か乱数系(最近は出尽くして下火だが)が殆どになった。以前の此処のような研究系はまだいるのだろうか(というか居るなら募集)。
通信ケーブルからワイアレス通信、Wi-Fi通信とたしかに確かに遠くの人ともつながれるようになったけどその分、人と人とのつながりは遠くなってしまった気がする。「ケーブルを手渡す」みたいな意味でのふれあいが減った。

ネット環境が変わった

個人のポケモンサイトは明らかに減ったと思う。中規模の攻略サイトwikiに移った感じ。
逆に個人ブログはすごい増えた。06頃はブログサービスでないブログも多かったけど今は利用してない人は居ないぐらい。mixiは使ってないのでなんとも言えないけど受動的な所も増えた気がする。あとブログからmixiに移行した人も多い。
動画配信は革命的に変わった。05頃にYouTubeに対戦動画上げてたのは自分やタッツーさんぐらいだったが、ニコニコ動画が登場し爆発的にユーザーが増えた08年に「バトルビデオの撮影&アップロード機能」が付いたプラチナが登場。それ以降は大会会場での撮影を含めてバトル動画は見きれないほど増加し、ニコニコ生放送Ustreamが出てくるとそれは本当になった。
Twitterポケモン界では今年の春ごろから増えて来ていて今後も増えると思う。ただ、単体ではその人がどんな人か感じ辛いので何か別のものとの組み合わせが必要だろう。
これらの根底には02頃からのネット環境(ADSL)の普及も関係していると言える。

イベントが変わった

04,05,07の熱気ある会場、スポンサーブース、物凄い行列は消え失せ、
06のユーザーの一番少ない時期に長期開催してがらがらになった会場も超え、
08からは予約制アトラクションと全都道府県予選に変わった。
以前の大会を知るものからすると今の大会は少々さびしい。実況のサーナイトさん何処行ったー。
ポケモン配布のイベントも様変わりした。
行列当たり前のスタッフの手作業配布は消え、ワイアレスアダプタを使った配布機器に群がることも無くなった。
というかポケセンポケフェス高島屋ポケパークのみでの配布が無くなり、
劇場前売り券、劇場配布、DSステーションなど規模の大きい・期間の長い配布が増えた(ポケセンのみは減った)。
Wi-Fi配布も始まりネット環境さえあれば家でも受け取れるようにすらなった。
これのさびしい所は「こいつを受け取ったときにあんなことがあったなぁ」ってのがなくなる事。配布のためにポケフェス行ったり、万博に行ったりはいろいろあったけど楽しかった。

乱数が解明された

もはや第4世代の話でこれを抜くことは出来ないだろう。
08年末に祐野さんが解明したのがきっかけで爆発的に普及、研究されるようになった。
当初は起動から2分頃に出る「めざ地ラティオス」の為に使われた(このラティオスはゲームニュースサイトでも取り上げられた)。それからは数時間後に出る高個体値を狙う人も現れたり、高固体値のタマゴを受け取る方法も解明された。
しかしこれも束の間、09年3月頃にはDPtでの厳選・孵化の方法も解明されALL6Vパーティーも不思議ではないものになってしまった。
賛否分かれる話でしたが今は落ち着いている(のか?)。知られて無かっただけで赤緑でも起こる(解明されてないが)。電源パターン自体はアーケード時代からあるものなので初期のGAMEFREAKメンバーなら遅かれ早かれ解明されると思っていたかもしれない。当初これの解明に使われてたツールに「個体値からそれがどの出現法で存在しうるか」を調べるものがあるのですがその本来の利用目的は「公式チェックにかからない改造をする為のサポートツール」だったのではと思うとなんとも言えない気持ちになります。


>yuさん
ポケモンの根底は「通信」です。
今でこそ商売の都合で子供意識ですが少なくとも田尻さんは子供向けで作る気はなく「大人を骨抜きにするゲーム」と著書にあったはず。

ちょっと見返したら以前感じなかった「社長臭さ」のようなものが感じられたのいつか集めた関連書籍を執筆順に見返したくなった。